仮面ライダーBLACK

子供ってのは、やっぱりストーリー云々より戦闘シーンなんですかね。
平成ライダーはドラマが主体で、戦闘シーンはオマケみたいな感じだからなあ。大人は楽しめるけど、子供はどうなんだろうという疑問は、当初よく見かけましたが、クウガ以来もう7作になるとさすがにそんな心配はしなくなりますな。それでもNakoさんのコメントのようなケースを聞くと、ちょっと考えてしまいますね。


クウガ響鬼は、人間ドラマ部分がライダー部分とかなり乖離してほとんど独立してるので、ライダーである必然性はあまり無いような感じでした。ただ、2話で1エピソードという配分だったので、それなりにどちらも時間をかけて描いていて、戦闘シーンも力技ではなく、敵の特徴を示しながら攻略方法を探りながら戦っている感じでした。
それ以外の平成ライダーは、人間ドラマ部分も基本的にはライダーの群像劇なので、ドラマと戦闘がそう乖離してはいないのですが、敵の怪人は目的不明なままただ出てきてやられるだけの存在で、攻略方法も何もない、本当にオマケみたいな戦闘シーンです。
どちらの場合も、それだけだと味気ないので、敵にも人間ドラマができる存在を用意し*1、物語が進むにつれて、彼らのストーリーへの介入度合いを増やし、人間ドラマとライダードラマ*2の関係や、ライダードラマと戦闘シーンの関係の強化を図っているようです。


最近仮面ライダーBLACKのビデオを引っ張り出して見てるのですが、昔のライダーは全部そうでしょうが、ライダードラマならぬ人間ドラマというのは清々しいまでにありませんな。
一応開始5分くらいまでは事件発生前の導入部分なので、全く無いこともないのですが、主演の倉田てつをさんの演技を見てると、人間ドラマパートには全く力が入ってないのが丸わかりです。曰く、「杏子ちゃんは心配性だなあ(棒読み)」「よーし、食べるぞー(棒読み)」と、いちいち「カッコ棒読み」を付けたい衝動にかられるセリフ回しです。監督も演技指導とかする気が全く無いようです。


それが、事件発生を目撃したりして「こ、これはっ!」とかいうセリフになると、俄然濃度が変わってくるのですね。眉間にしわが寄るは、声のトーンは一段下がってドスが効いてくるは。見る方としても一気に引き込まれます。
そして事件を追及し、「ゴルゴムの仕業に違いない!」と確信を得た辺りで怪人と遭遇、一旦は逃げられたりしながら、ついに事件の全貌を突き止め、「許さないぞ、ゴルゴム」の決意のもとに「変身!」「仮面ライダー BLACK!」。
そして、いよいよメインの戦闘シーン。敵の攻撃に苦戦しながらも、弱点を看破し、食らわせた「ライダーパンチ!」の一撃で敵をひるませ、そして必殺の「ライダーキック!」


名乗りとポージングが無茶無茶決まってます。最近は戦隊でも省略されがちですが、単体ヒーローなら必須だと思うな、俺は*3 *4。それに、仮面ライダーBLACKは名乗りだけじゃなくて、技の発動前、ジャンプ、キック後の着地など、全部ポーズが決まっててカッコいいんだよ。
話自体は非常にパターン化された展開でマンネリなんですが、それでもこれだけ面白いのは、シャドームーン*5の存在に代表される物語テーマの勝利もさることながら、やはり定型化の美学というところも無視できないよなあ。

*1:カブトで言えば間宮麗奈

*2:事件を解決する、調査するという部分か否かで一応分けて書きます

*3:戦隊とかで何人も連続で名乗ると、それだけで1分くらい使ってしまって勿体無い、ウザイってのもありますが

*4:ウルトラマンみたいに喋れない場合は仕方ないですが

*5:親友であり兄弟でもある秋月信彦の生まれ変わった姿。仮面ライダーBLACKと全く同格の力を持ち、色や素材は真逆ながらフォルムは酷似しているという秀逸なデザインを有する最強の敵。